急ぎませんから

今日は、少し厳しめの記事になります(^^;。

これまでに、数えきれないぐらいの方たちを教えていますが、

ヴァイオリンを習おうという理由は、人それぞれです。

 

学校主催の演奏会で聞いたプロの演奏にあこがれて、とかこの曲が弾いてみたいとか、

それぞれの考えがあって、

専門家を目指すのでない限りは、いついつまでに、このテクニックを身に付けなければならないとか、

この年齢で、このぐらいの難易度の曲を弾く実力がなければならないなどと、焦る必要はありません。

 

ただ、まったくの初心者で始めるときから

「(上達を)急ぎませんので」と講師に伝えてくる生徒さんは、

そもそも習わないほうがいいのではないかな、と思います。

 

それはなぜか?

結果論で言うと、こういうタイプの方が過去に若干名いらっしゃいまして、

その方たちは、結局、ほとんど1ミリも上達せずにお辞めになったからです。

 

「急ぎませんから」は

「進みませんから」なんですね。

 

恐らく、「講師から過度な要求をされては困る!」という心配から

予防線を張られたのだと思いますが、

ご自身が

「別に、専門家を目指すわけじゃないし」とか

「早くうまくなりたいってわけでもないから」

とブレーキをかけている限り、まったく進まないのですよね。

 

注) そもそも、専門家を目指す場合のレッスンは、

   習いごととしてのレッスンとは緊張感がまるで違います!

 

演奏の実力って、上達どころか、現状維持が大変なんです。

よく、わたしの師匠が言っていましたが、

「月曜日に練習して、火曜日にさぼれば、水曜日に月曜日の時点での実力はない」

というのは、本当です。

 

なので、「上達を急ぎませんので、練習はやったりやらなかったりです(というか、ほとんどやらない)」

という状態ですと、いつまでたってもスタート地点なんです。

それってやる意味があるのかな?と正直、思います。

 

上達、上達!と考えなくても

「ヴァイオリンを習っています」

というこの一文だけで満足!という方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、

変化がなければ飽きてしまうし、お月謝も勿体ないし、で結局辞めることになりますよね。

 

そうすると、それまでにレッスンにかけた時間やお金が、まったく無駄になりますね。

なんの実力もつかず、残るのは

「ヴァイオリンを習っていました」

の一文のみ。

 

社会人の方で、お仕事の都合上、どうしても練習時間を十分に確保することができない

という方も、もちろんいらっしゃいますが、

「急ぎませんから」と心にブレーキをかけているわけではない方は、

なんとか時間を作って練習し、それなりに実力が付いていくものです。

 

「急ぎませんから」を何度も言っていた方たち。

レッスンでは、わたしは毎回同じアドヴァイスをしていましたが、

それを心に留めることもなく、数年間、同じことの繰り返しで終わってしまいました。

 

しつこいようですが、

上達を焦る必要はありません。

ですが、前進の気持ちがないのであれば、

やらないほうがいいと思います。